読後感想文〜書評show〜

フィクション大好き!こよなく本を愛するLULUがありのまま、感じたままに本を紹介します。好きな作家は、吉田修一さん、津村記久子さん。

2016年03月

中村文則著「教団X」を読みました。
かなり分厚い本で、参考文献の数を見ただけでも40冊以上!人間の暗部を描くのに卓越した著者ならではの、長編大作でした。(小説すばるに連載すること二年半だそう)


楢崎は思わせぶりなセリフを吐いて自分の元を去った恋人立花涼子を探して、とある教団に潜入する。ところがそこはカルト教団のイメージとはかけ離れたゆるい集団。そこで楢崎は今涼子がいるらしいもう一つの教団の存在を知らされる。彼女を求め、潜入を試みて二つの教団を行き来した楢崎は表と裏のような二人の教祖に魅入られ、教団が孕んでいるテロに巻き込まれていく。
 

最初に楢崎が行った教団の教祖である松尾。彼がゆるく集めた信者たちに語っていた説法。それは宇宙と人間、そして素粒子と脳などとても興味深い内容でした。
難しい言葉が並び、何度か行ったり来たりしながら読み進めましたが、松尾が言っていた有でも無でもない境地に行くことができたら、別の世界があるのだろうと思えます。
あらゆる宗教を超えた存在であった松尾と、人間の欲情を昇華させ己の罪の結末だけを見つめ続けてきた天才的な教祖沢渡。
二人の見つめる未来は同じものではないのだけれど、出発点に差はない。
増え続ける信者たちには、暗くてどうしようもない過去があり、そこから逃れるためにかすかな光を求めて師を崇める。そうすれば、自分の本来の姿にとらわれることなく、気持ちが楽になっていく。
ひところ、全盛を極めたカルト教団の存在は今ではあまり注視されることはないけれど、今の時代でも迷うものたちを先導してくれる強い存在は求められているのかもしれない。

人は自分のために、わがままのために、欲望のために生きていくという側面があるのだけれど、それを冷静に究極に見つめることができればそこには全く別の景色が広がるかもしれない。

世の中の仕組みや人間の営みについて、悟りの境地に行き着いた絶対的存在がその説を命の限り実践し、実験しようとする。振り回されるのは、凡人である大多数の人たちであり、裏にある企みや陰謀を考えることなく指示を待ち続ける。
考えることなく神をひたすらに崇め続けるのか、楽になるのを放棄して自由を享受し命の限りに闘うのか、その選択のどちらが正しいのか誰にもわからない。
書いている中村さんにすら、すべては見えていないのではないかなと思いました。

圧倒的な筆力で、人間のどうしようもない欲望から崇高な思想までを振り幅大きく描ききっている本作。
ただし、性的な描写が随所に出てくるのでそのようなお話が苦手な方にはオススメはしません。男性と女性とでは捉え方にだいぶ差があるのではないでしょうか。

とにかく、著者のパワーが前面に出ている意欲作です。 

教団X
中村 文則
集英社
2014-12-15

 

綿矢りさ著「ウォーク・イン・クローゼット」を読みました。表題作他1作を含む中編集。

まず、収録作品の「いなか、の、すとーかー」。
最近売れだしてきた若手陶芸家石居は、ドキュメンタリー番組に取り上げられたり、CMの話が決まりそうになったり・・・とアーティストとしては順調な経歴を積み重ねていた。
東京から離れ、一度出た故郷の地に窯を持ち陶芸に打ち込んでいるが、学生の頃から付きまとわれているちょっとイカれた女性ファンから居場所を突き止められ、それから彼女の意味のわからない攻撃に頭を悩ますことになる。


これは・・・綿矢さんご自身何か思うことがあったのかなぁと思わされたお話でした。ちょっと怖くて、石居が怯えていくのがわかるのですが、それがあらぬ方向に転がり始めた頃から石居自身が何と己を振り返るようになっていく。
ちょっと心理の移り変わりがトリッキーでついていけず、ただこれは一般人というよりは自分の就きたい職業についた人特有の感覚なのかなぁと思いました。その突き放し方も含めて、綿矢さんの鮮やかな描き方に感心しました。


そして表題作の「ウォーク・イン・クローゼット」。
洋服で武装して、まだ見ぬ愛しい人のために日々シミュレーションしている会社員の早希。幼馴染で売り出し中のタレントだりあの部屋に自慢げに鎮座するウォーク・イン・クローゼットとそれを彩るハイブランドの洋服たち。二人の友情は濃くも薄くもなりながら東京で続いていたけれど、早希の迷走する私生活とは裏腹に、だりあはあるスキャンダルを抱えていた。

早希は、自分を幸せにしてくれる王子様を日々探しているのだけれど、いつも浮ついている彼女には次々と男が現れて消えていく。落ち込み、また奮起しながらも彼女が武装すればするほど、自分自身をおとしめていく。
普通に幸せになりたいと願いながら、なぜか違う方向に向かってしまう若い女性特有の悩みを独特の感性で描く今作。早希とは違い今では強い信念のもとに成功への階段を登りつつあっただりあもまた、理想とは違う生き方を選ぶ自分を止められない。

人生に正解などなくて、誰しも右往左往しているのだけれど、それが若さゆえの無鉄砲さと相まって清々しい読後感に浸れるお話でした。
早希の武装した姿に気づくことなく、自らの目標にひたすらに向かおうとする男たちとの温度差と、彼女自身気づくことのなかった自分の魅力を胸いっぱい吸わせてくれるような周囲の愛情にホッとするラスト。
余談ですが・・・完璧な容姿を武器にテレビで堂々とコメントして人気を獲得するだりあは菜々緒がいいのじゃないかなぁ・・・ドラマ化するときには是非配役してほしい。



ウォーク・イン・クローゼット
綿矢 りさ
講談社
2015-10-29


 

益田ミリさんの「夜空の下で」を読みました。

日常の何気無い一コマを切り取って、ささやかな言葉と絵で紡いでいく彼女のコミックエッセイは大好きです。 
今回は主に宇宙や星について書かれていて、 コミックエッセイの後には宇宙についての解説まであります。

そしてこのコミックも時間を超えて少しずつ繋がっていて、そんな小さな発見も嬉しい一冊。
新しいことを始めてもいいんだよ、と伝えつつも、別の章では去ることについて優しく肯定する。この押し付けのなさが魅力です。

益田さんはこのたび種子島から打ち上げられるロケットを見学しに行かれたようです。 案外気軽に見に行けるらしいことを知り、私も見に行ってみたいものだなぁと思いました。益田さんの感動がすごく伝わってきましたので・・・


 
姉妹が母親の夢だったオーロラ観測を、母親亡き後に実現するエピソードにはしみじみ感じ入るものが。もらったもの沢山あって、お返しなんて全然できないのだけれど、こんな風にやりたかったことを残された家族が受け継いでいく、なんていいなぁ。

時々、元フジテレビアナウンサーだった長谷川豊さんのブログ「本気論本音論」を見ているのですが、過激すぎる表現があったりヒヤヒヤする部分もあるものの、全体的にあの歯切れの良さとテレビ局の社員であったけれど今は違う(フリー)という立場からの意見を、歯に衣着せぬトークで展開していくので、面白おかしく読んでいます。

何となく著書も気になり始め、今回二冊読んでみました。




長谷川さんはブログでも「メディアリテラシー」のことをよくよく題材にしています。端的に言えば、情報番組で流されることを全て鵜呑みにするのではなく、その真偽をきちんと自分で考え判断するということなのですが、いかに今までよく言えば「素直に」ニュースを見ていたのかがわかります。

これだけ情報があふれている中で、真相は一体どこにあるのか、判断するのはとても難しい。ただし、どうしてこうなったのか、誰が得をするのか、それを考えるだけでもニュースや情報の見え方は違ってくるということです。
この本では、テレビ番組の「やらせ」についても言及しており、番組打ち切り騒動にまで発展した「ほこ✖️たて」についても細かく書かれています。これを読み解くことにより、他の番組の見方もかわってきます。
本書では、主に受け取る側(視聴者)に立って書かれており、逆にテレビとテレビ局の在り方について書かれているのが、



です。

テレビの「やらせ」についても書かれており、重なる内容が散見されますが、どちらかというと今視聴率に右往左往し、ネットの口コミにも左右されるようになってしまったテレビ局・テレビ番組の凋落ぶりについて書かれています。テレビが面白くなくなった要因、どういうテレビ作りが求められているのか。視聴者とテレビとネットとの関係などなど、フジテレビの裏側、アナウンサーの実情などとともに興味深く描かれています。

偏った報道がされていても、今では気にすることもなく、気づけば好きな俳優やアーティストを取り上げる番組にチャンネルを合わせてしまっている。テレビで大げさに強調されていることはいつの間にか刷り込まれ、あたかも自分が望んだかのように錯覚する。
それでも昔のように、ただ付けっぱなしにしておくということがなくなり、たとえテレビでなくても画像や映像は様々なコンテンツから受け取ることが可能です。自分から「選び」「わざわざ見に行く」ことが日常化すると、流れてくるものに対する評価はやはり厳しくなっていきます。

ドラマがつまらない、バラエティーはどこも一緒・・・批判するのは簡単ではありますが、テレビ大好き
っ子からすると、テレビは面白くあってほしい。
人気のあるものをただマネするのではなく、各局の独自路線を発揮してくれるからこそ、チャンネルを変える意味がある・・・と思う。

ちょっとテレビの裏側を覗く・・・ぐらいの意識で読むとちょうどいい。思い切った言葉が並んでいて、清々しい二冊です。 

西川美和著「永い言い訳」を読みました。


作家津村啓は、突然のバス事故で連れ添った妻である夏子を亡くした。完全に冷え切っていた夫婦仲に津村の心はどこか他人事のように事態を受け止めていくのだけれど、夏子の同行者であったゆきの家族(夫・長男・長女)に出会った津村は、事の流れで軸を失ってゆらゆら揺れ始めていたこの親子と関わっていくことになる。


津村は冷めていて、子供を望んだことがなければ、夏子との結婚生活にも希望を持てず、愛人と堂々と自宅で不倫をしていたような男。
夏子を失ったことにより突如憐れまれることになった彼は、その憐憫を全身で受け止めるどころかその悲しみを隠そうともしないでさらけ出すゆきの夫陽一に、戸惑いを隠せない。
ただ、心を必死で押し隠してきた津村も、母親不在を乗り越えようといじらしく踏ん張る兄妹と触れ合ううちに、嫌でも自分の存在意義のようなものを考えるようになっていく。

突然の事故で、一気に同情される側になった人々が、それに翻弄されながらも自分の中の後悔と向き合い、そして降参していく様をあらゆる視点から描き出した傑作でした。
これは西川さん自身の手で映画化されることが決定していますが(本木雅弘さん主演)、これまで幾度となく報道され、その度に自分だったら、と考えてきたことがいかに上っ面だったのかと突きつけられる思いがした小説でしたので、映画ではどのように人が悲しみと向き合う覚悟を決めた姿を描いていくのか今から興味深いです。

人は忘れてしまう、でも人はいつまでもじくじくと化膿し続ける後悔の中で生きていかなければならない。それは残されたものの、永遠のテーマ。
決してきれいごとではなくて、人は悲しみながらも残酷なことを言ったり思ったりする生き物であり、その中でもゆらゆらとどちらともつかない気持ちを持て余しながら平気なフリをしたり、落ち込んでみたり、わざと自らを貶めるようなことをしたくなってしまう。
そんな格好悪い大人の姿をまざまざと描き出し、それに対比して成長し無邪気に喜怒哀楽を出したりしまったりする子供の姿を丁寧に拾うことによって、人間のいじましく生きる姿が初めて生き生きと感じられるようになりました。

後半はもう涙なしでは読めませんでした。心を揺さぶるものって、ヘドを吐きながらも、嫌気にまみれながらも、地を這って手足を引きずってあきらめなかったコトにこそあるのかもしれません。
西川さんの、表現するパワーに圧倒されっぱなしの一冊でした。 オススメです。

永い言い訳
西川 美和
文藝春秋
2015-02-25

 

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