読後感想文〜書評show〜

フィクション大好き!こよなく本を愛するLULUがありのまま、感じたままに本を紹介します。好きな作家は、吉田修一さん、津村記久子さん。

2015年04月

書評も今後は別のブログで書いていきます!

伊坂幸太郎著「アイネクライネナハトムジーク」を読みました。

斉藤和義さんから、作詞をしてとお願いされた著者が「作詞は無理ですが、小説ならば」と寄せた短編を含む、6つのショートストーリー集です。
伊坂作品には珍しく、ちょっとほっこりするような「偶然」を装ったアクシデントが織りなす恋愛物語が軸となっています。
登場人物が少しずつリンクし、時代も設定も前後し、少しずつ誰かの影響を受けたり、影響になったりした物語を丁寧に描いています。
人が人のことを思う時、主観が必ず入り込んでしまうのだけれど、それが良い未来をもたらしたり、それとは別にすれ違ってしまったり、人間の関係性というものは実はそういった偶然の重なりが作っていくのかもしれない、それを必然と言ってしまうのはエゴなのかもしれません。

伊坂さんらしい、見事にリンクした物語が今回も張り巡らされていて、「お!この人はこの人だったのか」と本を前後させながら読み進めました。
彼の作品は、紙ならではの醍醐味があるなと思います。

伊坂作品のちょっと変わった人物たちに戸惑っている人は、今作は読みやすいのではないでしょうか。入門編としては、最適な本だと思います。


相変わらず緻密に計算された構成に唸る、テンポのよい展開に引き込まれ、一気に読んでしまいました。

島本さんの本は、女性の欲望を実にざらりとした感覚で、でも甘く切なく描くのに長けた方で、主人公の気持ちがぐいぐいと奥まで入ってくるような気持ちにさせられます。面白くて、もう一気に最後まで読んでしまいました。

〜ストーリー〜
塔子は、義理の両親と同居ではあるけれど、かっこ良くて優しい旦那さんと可愛い娘、友達のように接してくれる義母、気難しいけれど出張がちで家にいない義父と素敵な一軒家に暮らす何不自由のない主婦。
ある日、友達の結婚式でかつて自分が恋い焦がれ、けれどどうしても手に入らなかった男、鞍田と再会する。昔と変わらず強引に近づく彼に、強烈に揺さぶられる塔子。封印していた様々なものが、解き放たれ、届かないものに触れたとき、塔子の閉ざされた欲望の欠片が次々と噴出していく。


不倫という男女の関係の中で、決して立ち入れない何かがあって、そこに到達できないでいじらしく抱き合う2人に、未来などあるのだろうか。
塔子は満たされていると思われているけれど、空虚で何にも期待しないで生きることに疲れていた。優しいけれど、自分の価値観だけで生活をする旦那に疲れ、ひとつひとつのことにいちいち神経を尖らせていても、決して表に出すことをしない。
傷つくのが怖いのか、何かを失うことを畏れているのか。

自分の中の何かが壊れていくとき、塔子は自分がわからなくなっていく。
欲望を秘めつつも、それに正直に向き合うのことのできない塔子という女性には共感するところが多々ありました。近くて隣にいるからこそ、言わないことがある。ずっと一緒にいるのだと思うからこそ、言いたくない言葉がある。

どうしようもない欲望とプライドの狭間で揺れる、一人の女性のつかの間の夢想と覚醒のオハナシ。
人が人を愛するということは、刹那狂おしい。その記憶があれば、何の変哲もない平坦な道にいても、迷うことはないのかもしれません。

わたしは平野さんのことをよく知らなかったのですが、平野さんは食ブロガーとして人気で、とにかく「食べる」ことに関しての幅広い知識と経験をお持ちの方なんだとか。

どんなオハナシなのか全くわからなかったのですが、一時期Twitterなどであらゆる方から絶賛されていたので一度読んでみたいと思っていました。

そして、読んだら・・・とにかくすごい。すごいの一言。世の中、食ブログって山ほどあると思うんです。それこそワタシみたいななんちゃって食いしん坊(食欲はあるのは確かだけれど、何となくなんちゃって)が、物知り顔で「芳醇な味わいの素晴らしいランチでした」なんて語れちゃうぐらいですから、もう何だって出来ちゃいます。

ところがこの平野さんの食に対する貪欲さと言ったら、これまでの自分は何だったのか・・・と目からウロコ。貪欲っていうのともちょっと違って、とにかく「食べる」ってこんなに広い意味があったのか!と仰天しきり。ワタシが食べているものなんて、ホント安全安心の檻の中のものばかりでした。お見それしました・・・

食べ物に向かう覚悟が半端ない。そして軽妙かつ鋭い言葉選びに感動しきりでした。
本も、髪質が違っていたり、面白い写真が挟んであったり、詩的な一文があったり・・・理想的な食に関する本でございました。

こんなふうに欲に対してアグレッシブにいきたいもんですな~。もっと前進!もっと高みに!!

とにかくショーゲキの一冊。食べる事が好きな人には、ぜひ読んで欲しい一冊です。

田口ランディさん、好きなのですが最近ちょっとご無沙汰でした。この「座禅ガール」を読んで、実際にお寺に座禅に行ってしまったほど影響の強い作品でした。


〜ストーリー〜
よう子は東日本大震災の慰霊祭を知り合いのお寺で開催するが、そこに美しい女が現れ、なぜか放っておけなくてしばらく預かることになる。りん子と名乗ったそのオンナは若くて美しい顔をしているのに、アンバランスな体と生気のないオーラが蔓延していてついイライラしてしまうよう子。
そんな折り、座禅を極めたアメリカ在住のアイリーンを日本に呼び、座禅を学ぶ会を企画するよう子。それは自分にとっても修行であり、わからない何かを掴むための会でもあった。


座禅とは、静かな寺の中で足を組み、僧侶の方から時々ばちんと肩を叩かれるというイメージなのですが、ここではそういった「男性的な座禅」ではなく、女性の生き方やその人自身に向き合うために行い、形やセオリーなどは大切ではなく、ひたすら「座る」ことを軸にしているのです。
よう子はその性分から、必死で「座るとは何か」「座禅をして何を得られるのか」ということに心を砕き、しばしばアイリーンに説教されます。そのたびに己の雑念に振り回され落ち込むよう子。

しかし、やがてはアイリーンの説く「ただ座る」という行為に光が見えてくるのを感じるのです。

これを読んで、座禅に興味が湧きました。アイリーンさんのように静かに己を観察することが出来たなら、次の行動も変わってくるのかもしれない。
ランディさんの作品を久しぶりに読みましたが、なんかいつも彼女独特の世界観にやられます。今回も例外ではありませんでした。

村上春樹さんは、わたしの中では歳上の男性が好んで読むというイメージが強い方です。自分にはまだまだハードルの高い作品かな・・・ということで、新作が発売されるたびに話題になるのですが、読むのはかなり遅れてからになってしまいます。


この本はプロローグにご自身でおっしゃっていたように短編集で、この時期短編を書くモードに入っていたようです。確かに村上春樹作品というと長編のイメージ・・・短編だとどうかなと思いました。

題名にもあるように、何かの事情があって今は「女がいない」男の話。
彼の作品を読むといつも思うのですが、男の人の「青春」が漂ってくる気がします。実際は男ではないのでよくわからないのですが、入り込むのに少々時間がかかってしまうので、そんなふうに感じるのかもしれません。

時にすごく不思議な世界があり、時に哀愁の漂う男の背中がある・・・ただしわたしには少々幻想的過ぎるみたいです。世界観が確立していて、さすが世界中にファンを持つだけのことはあるのですが、もう少しギトギトしたほうが個人的には好みです。

一文読んだだけでも独特の世界観に浸れる・・・それが愛される理由でもあると思います。短編好きな方にはいいかもしれません。普段村上作品を読まない方の入門篇としても、様々なトーンがあるのでオススメです。

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