先日、映画「世界から猫が消えたなら」を観たので、その勢いで川村元気さんの「四月になれば彼女は」を読みました。


何と言ったらいいんだろう・・・すごく愛について絶望し、少ない希望に寄り添いたくなる、そんなお話でした。

四月になれば彼女は
川村 元気
文藝春秋
2016-11-04

 

人生で初めて付き合った、と思っていた人から藤代の元に手紙が届く。彼女は異国の地でなぜ彼に手紙を書きたくなったのか。
藤代とハルの恋物語を回想しながら、藤代の決して熱いとは言えない弥生との現在の恋が進行する。
人はなぜ人と人生を歩もうと思うのか。そして、若い頃に確かに手の中にあった恋愛はいつ消えて無くなってしまうのか。それが情になってしまうのは、果たして寂しいことなのか。
人を好きになることが億劫になる、面倒になる、1人の方が数倍気楽だと思えてしまう。
ただ、なぜかそう思っていても、時には寄り添いたいと強く願ってしまう。
そうした矛盾した気持ちと、それでも求めてしまう「自分を愛したい、人を愛したい」というまっすぐな欲望を、切なく無様に追い続けた、そんな気持ちのする物語でした。

人は死を意識して初めて、生に対する希望に気づく。
そして愛を失っているからこそ、愛を知る。

正直、この主人公が見たような希望を自分が体験できるかはわからない。
本当に今それを持ち合わせているかどうかもわからない。ただ、求め、共有し、そして喪失するからこそ、より愛情が色濃く感じるというのは本当かもしれません。

過去に関わった人たちのところに、ほんの少しでもかけらが残っていたとしたら、自分は本当に生きて恋して来た意味があるのかなぁとそんな風に思えました。

胸を焦がし、眠れないような愛おしさ、というのはもう経験できないのかもしれないけれど、変化して行く関係の中に大切な何かがある限り、孤独とは決して切り離せないのだと思えます。
大事なものがあるということは、悲しさと幸せを同時に手に入れたということかもしれません。