大好きな吉田修一さんの最新刊「橋を渡る」を読了しました。新刊が出ると中身を見ずしてレジに直行する唯一の作家さん。ゆっくり読書の時間が取れる日まで、表紙だけを眺めて我慢していました。ようやく解禁。終わりたくない、と惜しみながらも、一気に読み上げました。


春、夏、秋、冬と季節をつないでいき、それぞれの正しさに翻弄される男女を描き、そこにある苛立ちや諦念を丁寧に紡ぎだす本作。
あるものは長いものに巻かれてしまう現状にジリジリしながらも逆らえない、そしてあるものは家族の不正を正当化しようとするあまり己れの正義感を脅かしてしまう、そしてあるものは違和感を感じながらも正しくないと言えず、正しくないと口に出した途端、人生にほころびが出始めてしまう。

今こうやって生きていると、世の中から吐き出される大きな流れにかなわないと諦めてしまうことが多く、ともすれば見て見ぬフリをしてしまう。
デモやスクープ、抗議や運動をどこか遠い国の出来事のように流し、ほんの束の間のストレス解消にして、ささいな違和感など押し殺して快楽に走ってしまう。そうやって小さな批判を小さなコミュニティだけでぐるぐると巻き取ればそれは日常に忙殺される。顔のない批判と小さな声、これだけで世間のことを掌握した気になれる。

そんな日常のどこにでもありそうな一コマを丹念に描き出し、あたかもそこに自分が入り込んだような錯覚すら覚えます。
そして、一気に物語の顔つきが変わるのが季節が秋から冬に差し掛かる頃。
恋人の気持ちを知った謙一郎はすっと日常から足を踏み外してしまい、ずっとこっち側にいたと思っていた自分の体がいつの間にか対岸に行ってしまったことに気づく。

特に冬の章は、これまでさらりと入り込めていた世界が突如色を失い、顔色を失い、戸惑いの中で必死に手繰り寄せた場所は、ザラザラと気持ちを掻き立てる常識が蔓延していました。

違和感、正義感、常識、行動を左右する指針はいくつも存在するのだけれど、時々で何を選ぶのかは自由、だからこそ囚われるのではなく、手を伸ばして掴まなければならない。
何気ない選択肢に未来が左右される、それは必然でもないし偶然でもない、責任なのだとラストの場面とともに感じました。

小説というものはエンターテイメントで、ノンフィクションが見え隠れするフィクションではあるのですが、それを分かりながらも身に迫るメッセージを込められる吉田さんのパワーに圧倒されっぱなしでした。
小説の可能性について簡単に語れるほどに博識ではないものの、これからの小説という意味では非常に頼もしい作品であることは間違いないようです。

ちなみに・・・夜中のシーンを読んでいる時に来客があり、真昼間だったのに関わらず「こんばんは」と思わず挨拶してしまった私です。それほどに没頭しました。

ぜひ映像化してほしい今年一押しの作品です。


橋を渡る
吉田 修一
文藝春秋
2016-03-19