西川美和著「永い言い訳」を読みました。


作家津村啓は、突然のバス事故で連れ添った妻である夏子を亡くした。完全に冷え切っていた夫婦仲に津村の心はどこか他人事のように事態を受け止めていくのだけれど、夏子の同行者であったゆきの家族(夫・長男・長女)に出会った津村は、事の流れで軸を失ってゆらゆら揺れ始めていたこの親子と関わっていくことになる。


津村は冷めていて、子供を望んだことがなければ、夏子との結婚生活にも希望を持てず、愛人と堂々と自宅で不倫をしていたような男。
夏子を失ったことにより突如憐れまれることになった彼は、その憐憫を全身で受け止めるどころかその悲しみを隠そうともしないでさらけ出すゆきの夫陽一に、戸惑いを隠せない。
ただ、心を必死で押し隠してきた津村も、母親不在を乗り越えようといじらしく踏ん張る兄妹と触れ合ううちに、嫌でも自分の存在意義のようなものを考えるようになっていく。

突然の事故で、一気に同情される側になった人々が、それに翻弄されながらも自分の中の後悔と向き合い、そして降参していく様をあらゆる視点から描き出した傑作でした。
これは西川さん自身の手で映画化されることが決定していますが(本木雅弘さん主演)、これまで幾度となく報道され、その度に自分だったら、と考えてきたことがいかに上っ面だったのかと突きつけられる思いがした小説でしたので、映画ではどのように人が悲しみと向き合う覚悟を決めた姿を描いていくのか今から興味深いです。

人は忘れてしまう、でも人はいつまでもじくじくと化膿し続ける後悔の中で生きていかなければならない。それは残されたものの、永遠のテーマ。
決してきれいごとではなくて、人は悲しみながらも残酷なことを言ったり思ったりする生き物であり、その中でもゆらゆらとどちらともつかない気持ちを持て余しながら平気なフリをしたり、落ち込んでみたり、わざと自らを貶めるようなことをしたくなってしまう。
そんな格好悪い大人の姿をまざまざと描き出し、それに対比して成長し無邪気に喜怒哀楽を出したりしまったりする子供の姿を丁寧に拾うことによって、人間のいじましく生きる姿が初めて生き生きと感じられるようになりました。

後半はもう涙なしでは読めませんでした。心を揺さぶるものって、ヘドを吐きながらも、嫌気にまみれながらも、地を這って手足を引きずってあきらめなかったコトにこそあるのかもしれません。
西川さんの、表現するパワーに圧倒されっぱなしの一冊でした。 オススメです。

永い言い訳
西川 美和
文藝春秋
2015-02-25