IMG_8565大好きな吉田修一さんの最新刊「森は知っている」を読みました。 

こちらは、2012年に発表された「太陽は動かない」という作品で活躍する、産業スパイ鷹野の幼少期からスパイになるまでのオハナシ。

鷹野が所属しているAN通信の裏の顔は、知り得た企業情報を一番高く売れる相手を見つけて交渉している。そこに従事するものは、一日に一度決められた時間に会社に連絡をすることが義務づけられ、それを怠れば胸に埋め込まれた小さな爆弾が爆発する。35歳の定年まで、緊縛した日々を強いられている彼らは、なぜスパイになったのか。

鷹野は、ネグレクトによって母から離れ、暴力的な父親の元に戻される前にAN通信から救われ、幼少期に新たな名前と人生を与えられた。スパイになることだけを言い聞かされ、その訓練のための青春時代を過ごす鷹野。
そこに、安穏とした幸せな未来はないのだけれど、鷹野にとって未来とは何も描けない透明なカンバス。

その日一日だけ生きろ、そしてそれを続ければいい。

その言葉を胸に、 仲間、上司、恩人、愛しい人との間で揺れ動く鷹野。その成長物語であると同時に、スパイ鷹野が誕生する瞬間を描いた本作。

前作の「太陽は動かない」は吉田さんの新境地ということと、似たような作品が同時期に割とたくさんあったこともあって、戸惑ったことを覚えています。
ただ、今作では一度馴染んだ作品のトーンであったからか、すんなり入り込めました。

産業スパイである限り、必要以上に人を信用しないし、おのれの判断で一瞬一瞬を全てコントロールしなくてはならず、緊迫した毎日を強いられることになる。 ただ鷹野にとって、未来は過去から繋がっていると思いたくない時間軸。今日は昨日ではない、過去は現在ではない。鷹野にとって過酷な幼少期がそれをなかなか消化できずにいる。
自分の人生というものが危うく、そして誰かの手によって作られた物だとしても、彼は受け容れるしかない。そうしないと、今を生きることも出来ない存在。

彼がスパイになるにあたり、失ったもの、得たもの、それぞれにあるのだけれど、決して幸福であると言えない人生が確かにそこに息づき、未来につながっているのだと思える瞬間がありました。 
おのれを信じる、その信念が確かなものとなったとき人は一回り大きくなれるのだと思います。