〜ストーリー〜
70代にして現役のマタニティスイミングの指導者晶子。3月11日の震災の日、気になる生徒の1人を尋ねる。あまり他の妊婦とも、晶子とも関わりたがらなかった真菜。
彼女は有名料理研究家の娘だったが、母親とは断絶しており、今は関わりを持たない男の子供を産もうとしていた。
どうしようもなく絶望的なこの世の中に生を受けた子供、おびえる母親、未来に希望はないように思えた。


晶子は戦争を生き抜いていて、日本が敗れ、食べることにも困る貧困の世の中を見てきた。
晶子は思う。戦後に自分たちが望んで望んで、手に入れたいと心から思ってきた現代の姿は、入れ違いに何かをぼろぼろと落としている気がする。
そして、おせっかいかと手をこまねいたことから起きた過去の事について深く後悔している。

そしておせっかいな晶子をどうして良いのかわからず戸惑うばかりの真菜。
1999年に地球が滅亡し、何もかもなくなると思っていた彼女は、何も変わらなかった世の中に全く希望が持てないでいた。そんなときに3.11が起き、放射能汚染という新たな絶望が彼女を襲う。99年に終わらなかった地球は、明らかに破綻に向かっている。

地球は終わっているのだろうか。プライバシーの確立された世界は、本当に絶望的なのだろうか。

子供を持つ女性が今、ひどい孤独に陥ることがある。彼女たちはどうして良いかわからず、ただ他人の助けを拒み続け自分を追いつめる。
どうして良いのかわからなくて、でも何がして欲しいかわからない・・・本当に助けを待っている人は、助けてと言えない人なのかもしれない。
どうということもない他人が交わり、微かな絆を紡いで行く。その姿は頼もしくて、安心する。
もしかしたら、こじれた家族よりも、何の利害もない他人のほうが気が楽ということがあるのかもしれない。

2人の、世代の違う人生があるきっかけで交錯する、読みごたえのある一冊でした。